月を失うということ

深夜11時くらいに実家の妹から電話がかかってきた。
いつもは電話なんてまずかかってこないのでおかしいと思ってすぐにでた。
妹は涙声だった。
スマホの調子が悪く重要なところが聞き取れなかった。
どうにかして状況を聞くと父が危篤な状態になっているとのことだった。
この時点では木曜日から金曜日にかけての深夜だったので明日の仕事を休むかどうかを悩んでいた。

「今救急車呼んだ」
「今救急室に入った」
「絶対戻ってくるから」
「今、死亡確認がされました」
この連絡が大体一時間の間に来た。

それからは最悪の気分だった。
木曜日の夜に食べたサンマの風味がずっと口の中に風味として残っていてなんだか落ち着かない気分だった。
落ち着かないので家の中の片づけをしたりシャワーを浴びなおしたり1時間ほど無理やり仮眠をとったりしてどう時間をつぶしたあと金曜日のほぼ始発で新幹線に乗った。仮眠から覚めても悪夢は終わらなかった。
電車で新幹線に向かっている間に親友に父親が死んだことを Line したりしてとにかく誰かに話を聞いてほしかった。始発だったのもあって誰も既読はつかなかったが、幸い実家の家族はみんな同じような状態だったためか返信が早かった。
新幹線に乗っている間はどうにか少し寝たもののずっと最悪の気分だった。
とにかく悲しかった。今この文章を書いていても悲しくなってくる。
最寄りの駅で母と合流した瞬間に涙があふれてきた。
それからは何か話すたびに涙が出てきた。
母は一番つらいはずなのに気丈にふるまっていて特に泣いたりはしていなかった。
実家についてから母に案内されて父の死体と出会った。
本当に絶望的だった。
母が顔の布をとってくれて顔を見せてくれた。
父が寝てる時のいつもの表情だった。
ちょっと気難しそうな顔で寝ているときのいつもの表情だった。
顔色は青白くなっていて、もう生きてないということを見せつけられた気分だった。
実際に手で触れてみてもドライアイスで冷たくなっているので死体に対する処理がされているということが実感できた。
現実に押しつぶされそうな感じがした。
父は本当に死んでいた。
父は生物からただのオブジェクトになってしまったのだった。
その日はずっと父の死体のまわりでうろうろとしながら泣いていた。
妹が父の死体に抱き着いてるのを見てあまりにも悲しくなって泣いた。
寒かったから父の半纏を借りて、もう返せなくなってしまったことを思い悲しくなった。

次の日になって朝会社にしばらく休むことを連絡した。
こんなときでも冷静に連絡できる自分が何となく嫌だった。
それから父の兄弟や母方の祖父などが来てくれた。
祖父が父の顔をはたきながら父に声をかけていた。

「○○くん、おきろー!!おきろー!!」

この行動が父が絶対に起きないことを感じさせられてまた泣いた。
この日も変わらず呆然としていて父のまわりをうろうろとしながらずっと泣いていた。
実は布団が上下していないかとても淡い期待しながら布団の上に手を置いてみたりした。
布団が上下することはなかった。

次の日は火葬の日だった。
死体を棺に入れる前によくわからない脱脂綿みたいなやつで父の体や顔を拭いた。
死体を燃やすのにわざわざきれいにする必要はないと思うかもしれないが別れの儀式としては必要だと感じた。
顔を拭くときに父のひげが引っ掛かっていて少しみんなで笑った。

「最後まで面白い人だね(笑)」

最後に母が顔を拭いて父の死体にキスをした。
そこには明確な愛を感じて、最愛の人をなくす悲しみを想像してしまってまた泣いた。

父を棺に入れるときに体が全然うまく持ち上がらず父が完全にオブジェクトになってしまったのを実感してまた悲しくなった。
父を棺の中に入れた後は中に花を飾った。
葬式の会社の人から一人ずつ花を受け取りながら花を飾っていった。
飾り終えて棺を車に運びこむときにやはり父がオブジェクトになってしまったことを感じさせられてまた泣いた。

火葬しているときは家族とずっと話していた。
ティッシュが一袋なくなった。

火葬後にはもうあまり涙がでなかった。
骨を骨壺に入れる作業をした。
父は骨だけになった。

あとはほかの家族が順次帰っていった。
遠い中来てくれて本当にありがとうございました。

深夜に兄と少しだけ話した。
兄はずっと冷静でいてくれてそんなに泣いている様子はなかったが話しているうちに兄と二人で泣いてしまった。

父の死因は高血圧によるくも膜下出血だった。
ほかの家族の話によると死ぬ日の夜に洗濯物を持ってきて調子が悪いので先に寝るといって寝た5分後くらいに異常ないびきが聞こえてきたらしい。
救急車が来るまで心臓マッサージをしたが、努力が実ることはなかった。
実は父はその日仕事が休みで、持病の診察のために病院にいっていた。
持病とは言っても臓器の方なので特に脳の方を診察したりしたわけではなかった。

父が死ぬ二週間前にこちらに来てくれて、ご飯を食べた。
その時に高血圧の話は聞いていたが無知だったためまあ大丈夫だろうと思い流してしまった。
無知は罪だ。
なんなら食べたのはラーメンだった。
その日に血圧を下げる薬を飲めと言っておけばよかった。
本当にそれだけでどうにかなったと思うと今でも深く悲しくなる。

「じゃあ、またね」

駅で父と別れるときにこう言った。
こんな形でまた会いたいわけではなかった。
もうしゃべることもできない。

父は、優しくて、面白くて、意思が固くて、心が強く、清貧だった。
父に関して嫌だったことは思い出せない。まったく恨みもなかったのにこんなに早く死んでしまった。
自分は父のことを愛していたはずなのに何もしなかった。愛は行動が伴わないと愛になりえない。
いくらでもできたことはあったはずだった。

優しい人がなぜ優しいか考えた。優しい人はほかの人が負担だと思うことを請け負うから優しく感じるのだ。
優しい人をずっと優しいままにしておくとその人の負担は増え続ける。
自分は父を優しい人にしたままだった。
父は自身を大事にしてなかったかも知れないが、自分はもっと父を大事にしていなかった。

愚者の自分は経験からしか学ぶことができない。

さようならお父さん、また会いましょう。
地獄でも天国でも異世界でもどこでもいいので。

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